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失業からの復活ブログ
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雇用保険の失業等給付の収支が2011年度に3471億円の赤字見通しで、赤字になれば09年度以降、3年連続。
来春卒業予定の大学生の内定率は、10月1日現在で57・6%。
景気は回復傾向だと言うが、ただの気休めでしかない。

公益法人への天下りなど、あってはいけない。
無駄に税金を垂れ流して、金の亡者どもを太らせるだけだから。
すべての天下りを禁止していれば、これほど財政も悪くならなかっただろう。
日本が赤字財政である責任はだれが取るのか?
民間企業なら責任を取って追い出されるところだ。

中高年の再就職の道は険しすぎる。
正社員なんて期待できない。
仕事があるだけましだと思わなければならない。

国の方針で就職支援だといって、いろいろやってはいるが、どれもこれも的外れで笑うしかない。
人と企業をマッチングさせることなんて、これっぽちも考えちゃいない。
あるのは、自分を偽ってでも、良い人に見せる工夫だけ。

おいおい、間違っているだろ。

できない仕事を出来るって言わせるのが、仕事ですか?

誇張した履歴書を書かせるのが仕事ですか?

だから、人も企業も混乱するんだよ。

大切なのは、自分を表現することだろ。
長所を活かせるようにすることだろ。

一度、失業してみれば良くわかるだろうに……。
小学生が考えるような対策をただ大げさにやっているだけ。
偉そうに上から見下ろしているような考えだから、くだらない対策しか思いつかないんだよ。
もっと失業者の目線でものを見た方がいい。
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本当に再就職先は少ない。
まともに思えるものには、応募者が殺到するので勝ち残るのは至難の業。
この年齢で勝ち抜けるほど、甘い戦いではない。

どこかに決めなければいけないので、可能な限り片っぱしから応募するものの、ほとんどが書類選考で落とされる。
やっと面接の知らせが届いたのは、したことも無い営業の仕事でした。

給料は総支給でも17万。手取りになると12万程度になった。
それでも仕方がない。
やるしか他に方法がないのだから。

営業の世界は厳しい。
飛び込みで話なんか聞いてもらえるものではない。
それでもやるしかない……。

とりあえず先輩に指導を仰ごうと、いろいろ尋ねてみるけれど、返事は一向に帰ってこない。
経験の無い仕事を、何の知識も無くできるほど、私は賢くもなかったのです。
ですから何度も何度も尋ねますが、のらりくらりとかわされて、聞きたいことは何一つ聞けません。
挙句の果てには「みんなそれぞれやり方があるだろうから…」と、放置される状態でした。

事務所内の雰囲気が暗いことも気になっていたので、あちこちでいろいろ尋ねていくうちに原因がわかりました。

年齢がバラバラだったので気がつかなかったのですが、みなさん、新入社員だったのです。
長い人で半年、短い人は私の1か月前に入った人でした。
それでは、指導できないのも納得です。
自分のことで精いっぱいのはずですから。

しかし、それがわかっても状況は好転しません。

月のノルマは100万を超えています。
正直に言って、売れる商品ではありません。
単価が安いので、数を売らなければいけません。
営業畑で育ってきた人は、多少の伝手もあるようで、なんとかこなしていましたが、私には伝手も営業スキルも何もありません。
素人が1~2カ月で結果を残そうと思っても、残せるような状況ではありませんでした。
当然、厳しく問い詰められます。
どうしてよいのか、解決の糸口さえ見つけられないまま、辛い日々だけが続いていきます。

……だから、以前いた人がみんな辞めてしまったものだと考えていました。
これだけ問い詰められたら、誰だって長くは持たない。

でもそれは間違いでした。

会社はそれから半年後に閉鎖するとわかっていたからなのです。

私たちは、最後の後始末に雇われたようなものでした。

役員が不満をぶつけるには、仕事のできない素人が丁度良かったのかもしれません。

ツイていない……そんな言葉だけでは納得できない怒りがこみ上げてきました。

ハローワークには、もう当たりくじなんて残ってはいないのです。

どのハズレくじを選択するか、それだけです。

もうそこでは仕事はできないと感じました。いくら頑張っても、ここには未来が無い。
最後いても給料がもらえるのかどうかさえ……。

家に帰ると、国民保険の請求書が置いてありました。
7万円だそうです。
そんなお金はどこにもありません。

ずっと家にいても体にも心にも良くないと、必死に就職活動していたおかげで、ようやく一件だけ、雇用してもらえるとの連絡をいただきました。

……ですが、実際はハローワークの募集に書かれていたような待遇ではありませんでした。

社会保険はなし、雇用保険も様子をみてから。
とりあえず給料を今決めることはできないので、しばらく様子をみてから……ということでした。

それくらいは仕方ないかと思い、翌日から仕事にかかることになりました。

朝は6時前には家を出ます。
指示されただけの仕事がこなせないので、お昼時間は返上です。
夕方は7時過ぎには事務所に帰ってこれますが、それから内業があります。
抱えていた物件が多かったため、土曜も日曜もありません。
ずっと働きづめで、一か月もたたないのに、体重がかなり落ちました。

……でも、仕事が無いよりはいい。そう思って頑張りました。

そして一か月が過ぎようとしていた時、給料の話があると言われて事務所に向かうと、経営者の面々が大きな態度で座っています。
そして一言……。
『残業代やら通勤費やら、全部ひっくるめて20万に足りないくらいだな。』……だそうです。

一日の労働時間は、実質10時間は余裕で超えていました。
土曜日曜もありません。
ですから少なくとも一カ月に300時間は働いています。
時給に直すと660円程度。
しかも交通費などの諸経費もこの中に含まれるのだそうです。

……それでも仕方ないのかと、腹をくくっていました。
生活していける金額ではありませんが、「無いよりはいい」そう自分に言い聞かせました。

ですが、さらなる事態が発生します。
給料日に、給料がもらえないのです。

同僚の方に聞いてみると、給料が遅れることがあるのだそうです。
悪い時は3カ月待たされると……。

さすがに我慢できずに、納得ができないことを告げると、そこで話は終わりました。
今は募集さえかければ、いくらでも人は来る。
無理に高い給料を払う必要もなければ、いくらいい人材でも引きとめる必要もない。

……そういうことらしいです。

雇用が悪化している為に、賃金を下げてもいくらでも人が来ると笑っていました。

最悪です。

失業者は、救われないものだと痛感させられた瞬間でした。

仕事はなく、やっとありついた仕事は、苦労と責任だけが大きい内容。
保証なんてものはどこにもない。
ハローワークの職員と会話していると、時々、オーバートークしなさいと言われました。
つまり、ウソでもいいから面接官に気に入られ、就職してしまいなさいと。
一旦、雇い入れてもらえれば、こっちの勝ち……だというのです。

でも、私にはできません。
それなりのスキルは持っているし、仕事できる自信もあります。
……ただ、ウソはつけません。

まだ会社にいること、今とは全く逆の立場で面接官を務めていました。
面接に来た方のスキルを見極め、人間性を見抜く……簡単なことではありません。

当然、みなさん就職に必死ですから、多少のオーバートークはあります。

それも自分を売り込むのに熱意があればこそですから、それを責めたりはしません。

ただ、ウソは多かったように覚えています。

選ばれた人材であるのに、いざ仕事をさせてみると、さっぱりできない。
面接の時は、経験者だと言っていたのに、仕事の流れさえもわからない。

結局、何も任せることができなく、別の人員を配置し、余計な人件費となったのも、一度や二度ではありません。

今になって思うと、今の私と同じように、ハローワークでそう指導されていたのかもしれません。

今の立場になって、面接官と話をすると、みなさんが口を揃えていうのは『使ってみなければわからない』です。
当たり前です。
必要以上にオーバートークして自分を売り込んでいるわけですから、ふたを開けてみてびっくり…なんてことも多いのです。

それが、正解なのでしょうか?

今の再就職を、余計に混乱させているのではないでしょうか?

同じ会社なのに、求人募集が掲示されたり、消えていたり、する場合があります。

これはたぶん、試用期間が終わると同時に、就職を取り消されて、新たに募集がかかっているということです。

企業にとっても、就職したい人にとっても、時間の浪費のような気がします。


就職活動も三カ月を過ぎると、さすがに焦ってきました。

失業保険は1年近くありましたが、それだけでは毎月の生活が成り立たないので、貯金を切り崩しながらの生活だったのです。

でもまだ、家族は温かい目でいてくれたので、それだけは救いでした。

ハローワークでもらえる紹介状は多くて2つまで。
(長期休みの時は、最大4つまでもらったことがあります)

ただ、雇用機会均等法によって、男女の区別なく求人票が掲載されています。
紹介状をもらうために、相談窓口に座った時、初めて「これは女性向けの募集です」と言われることも少なくありませんでした。

一番困ったのは、年齢の制限が書かれていないことです。

一応紹介状をもらって面接にいくと、「年齢的に厳しいですね。せめて30代前半じゃないと無理だとおもいます」と断られることが如何に多かったか……。

表面上は年齢制限していなくても、実際は若い子に的を絞っている企業がほとんどです。
ハローワークの建前上、年齢制限はしていませんが、実際はかなり多く存在しています。

そのことでハローワークに尋ねると「年齢制限したら、40~50の求人は激減しますよ。また面接にいけるだけいいじゃないですか」とのことでした。
確かにそれも一理あるでしょう。
自己アピールの場があるので、そのチャンスを活かせる人がいるかもしれない……。

でも、現実は甘くありません。

かなり親密に話をしてくださった、同年代の面接官も何人かいましたが、『高学歴で高スキルの人間が、今は、たくさんあぶれています。どうせ同じなら、会社としては若い方がいいですから……』というようなことを、何度か聞きました。

2つしかもらえない紹介状。

そのうち2つとも若い子しか必要のないといことであれば、無駄に時間を費やしていることになります。

また、面接まで連絡待ちのことも多く、待っている間は何もできません。
紹介状は2つしかもらえませんから、後は求人雑誌に頼るしかないのです。
しかし求人雑誌にはアルバイト情報は多いですが、近隣の正社員募集はほとんどありません。

時間だけが過ぎていきます。

何かしたくても、平日の昼間にウロウロしていると、周りから良い言葉は聞かれません。
『怠けている』そんな言葉がささやかれるのです。
……必死で就職活動しているのに。

そして、いつも支えだった妻も、ストレスを爆発させることになるのです。
会社を閉鎖すると決めた時、私はまだこれからやってくるであろう試練に全く気がついてはいませんでした。

まだ、不況だとそれほど大きく騒がれてはいない時期だったので、なんとかなるだろうと思っていました。

会社の中枢で業務をこなし、経営に深く携わっていた立場でしたので、これからの会社の未来は良く分かっていたし、今、ここで廃業するのが一番の得策だということも理解していました。

実際、廃業には至りましたが、十分な資金は残ったため、役員も株主も、十分すぎるほどの報酬をもらって行きました。

……しかし私は、当時、苦しくなる経営に奔走して夜も眠れない日々を送っていましたので、それから逃げ出したい気持ちがあったのは事実です。
会社の清算業務にもずっと立い会いましたが、作業が進んでいくごとに、精神的な負担が軽くなっていくのに自分では満足していました。
「もう、こんなに辛い思いはしなくて良いんだ…」それが、その時は一番の優先事項だったのです。

仕事には自信がありました。
もともと技術屋なので計算には強く、いろんなことを経験しているので、怪しい商品のセールス以外なら、なんでもやっていけると考えていたのです。
当然、周りからの評価は高く、辞めると決まった時には、同業者からいくつか声がかかりましたが、またあんなに辛い日々が繰り返されるかもしれない……という思いがあって丁重にお断りしていました。

清算手続きが終わり、しばらくは療養のつもりでゆっくり過ごしていました。

……でもダメですね。

日ごろから良く動いていた体も頭も、じっとしていては逆にストレスになってきました。

そして、一か月が過ぎた頃、ハローワークで職を探すことにしました。

失業保険もある、蓄えもある、いくら長くても3カ月もあればまともな就職先があるだろうと高を括っていたのです。
しかし丁度、時期を悪くして、不況の波が加速していきます。
驚くほどに求人の数が無いのです。
そして年齢の壁です。

ハローワークでは、特に理由が無い限り求人に年齢制限を持たせませんが、実状は35歳で線引きしているケースが大半です。
ましてや、異業種に転職するとなると、この35歳の壁を超えることは、ほぼ不可能に近いです。

これを実感したのはまだまだ後のことになりますが、ハローワークで50を超える紹介状をもらい、面接管との会話の中で痛感させられたことなので、おそらく誰にもあてはまることでしょう。

異業種への転職は20代まで。
遅くとも35歳までに考えないと、よほど高いスキルが無い限り、無謀になります。

40過ぎの私は、そんなことなどまだ気付いてもいませんでした。

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