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失業からの復活ブログ
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ネットサーフィンでふと目にしたニュース。

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ダイヤモンドオンライン

大学を卒業したような「高学歴ホームレス」も、今では珍しくなくなった。社会を離脱してからも、引きこもりに似た身体メカニズムを抱え、国の就労支援に乗っかれない人たちが、路上に残されているようだ。

支援団体であるNPO『てのはし』の精神科医、臨床心理士などの専門家チームが、池袋駅周辺の路上生活者を調べたところ、ホームレスのうち約6割は、うつ病などの精神疾患を抱えている疑いのあることがわかった。


頑張ってきて、やっとの思いで生活保護の申請に行った人たちも、「なんで頑張んなかったんだ」「まだ若いのに」と、一部のワーカーから言われてしまったりする。

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失業に追い込まれる辛さ、どんなに頑張っても報われない努力……。
それがわかっていれば、、「なんで頑張んなかったんだ」なんて言葉は出ない。

どちらが世間知らずなんだろうか。

今まで必死で納めてきた税金から給料をもらってきた役人に、失業になったとたん、上から見下ろされるように戒めの言葉を受ける。

ふざけるな……と言いたい。

そこ言葉一つで、立ち直れないほどの精神疾患に追い込まれる人間もいる。

そんな人に、人を導く資格は無い。

心の病気

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ずっと家にいても体にも心にも良くないと、必死に就職活動していたおかげで、ようやく一件だけ、雇用してもらえるとの連絡をいただきました。

……ですが、実際はハローワークの募集に書かれていたような待遇ではありませんでした。

社会保険はなし、雇用保険も様子をみてから。
とりあえず給料を今決めることはできないので、しばらく様子をみてから……ということでした。

それくらいは仕方ないかと思い、翌日から仕事にかかることになりました。

朝は6時前には家を出ます。
指示されただけの仕事がこなせないので、お昼時間は返上です。
夕方は7時過ぎには事務所に帰ってこれますが、それから内業があります。
抱えていた物件が多かったため、土曜も日曜もありません。
ずっと働きづめで、一か月もたたないのに、体重がかなり落ちました。

……でも、仕事が無いよりはいい。そう思って頑張りました。

そして一か月が過ぎようとしていた時、給料の話があると言われて事務所に向かうと、経営者の面々が大きな態度で座っています。
そして一言……。
『残業代やら通勤費やら、全部ひっくるめて20万に足りないくらいだな。』……だそうです。

一日の労働時間は、実質10時間は余裕で超えていました。
土曜日曜もありません。
ですから少なくとも一カ月に300時間は働いています。
時給に直すと660円程度。
しかも交通費などの諸経費もこの中に含まれるのだそうです。

……それでも仕方ないのかと、腹をくくっていました。
生活していける金額ではありませんが、「無いよりはいい」そう自分に言い聞かせました。

ですが、さらなる事態が発生します。
給料日に、給料がもらえないのです。

同僚の方に聞いてみると、給料が遅れることがあるのだそうです。
悪い時は3カ月待たされると……。

さすがに我慢できずに、納得ができないことを告げると、そこで話は終わりました。
今は募集さえかければ、いくらでも人は来る。
無理に高い給料を払う必要もなければ、いくらいい人材でも引きとめる必要もない。

……そういうことらしいです。

雇用が悪化している為に、賃金を下げてもいくらでも人が来ると笑っていました。

最悪です。

失業者は、救われないものだと痛感させられた瞬間でした。

仕事はなく、やっとありついた仕事は、苦労と責任だけが大きい内容。
保証なんてものはどこにもない。
ハローワークの職員と会話していると、時々、オーバートークしなさいと言われました。
つまり、ウソでもいいから面接官に気に入られ、就職してしまいなさいと。
一旦、雇い入れてもらえれば、こっちの勝ち……だというのです。

でも、私にはできません。
それなりのスキルは持っているし、仕事できる自信もあります。
……ただ、ウソはつけません。

まだ会社にいること、今とは全く逆の立場で面接官を務めていました。
面接に来た方のスキルを見極め、人間性を見抜く……簡単なことではありません。

当然、みなさん就職に必死ですから、多少のオーバートークはあります。

それも自分を売り込むのに熱意があればこそですから、それを責めたりはしません。

ただ、ウソは多かったように覚えています。

選ばれた人材であるのに、いざ仕事をさせてみると、さっぱりできない。
面接の時は、経験者だと言っていたのに、仕事の流れさえもわからない。

結局、何も任せることができなく、別の人員を配置し、余計な人件費となったのも、一度や二度ではありません。

今になって思うと、今の私と同じように、ハローワークでそう指導されていたのかもしれません。

今の立場になって、面接官と話をすると、みなさんが口を揃えていうのは『使ってみなければわからない』です。
当たり前です。
必要以上にオーバートークして自分を売り込んでいるわけですから、ふたを開けてみてびっくり…なんてことも多いのです。

それが、正解なのでしょうか?

今の再就職を、余計に混乱させているのではないでしょうか?

同じ会社なのに、求人募集が掲示されたり、消えていたり、する場合があります。

これはたぶん、試用期間が終わると同時に、就職を取り消されて、新たに募集がかかっているということです。

企業にとっても、就職したい人にとっても、時間の浪費のような気がします。

仕事をしていないと、人と接する機会は各段に減ります。
たまの休みなら、やることも多く、買い物にも出かけるのでしょうが、こう休みばかりが続いては無駄使いするわけにもいかず、なるべく家にいるようにします。
出かければ交通費もかかるし、余計な買い物をしてしまうので。

ですから、外に出ると行っても行先はハローワークか、近くの公園になってしまいます。
ただ近くの公園だと、人の目につきやすいので、自転車でなるべく遠くの公園に行きます。

もともと社交的な性格ではないので、意味も無く知人の家に行ったりもしませんし、何かのサークルに参加することもありません。

……そうしているうちに、今まであれだけ積み重ねてきた経験に裏打ちされてた自信は、簡単に崩れていきます。
本当に簡単に……。

いくら焦ってもどうにもならないことが分かっているのに、生活は苦しくなるばかり。

ハローワークでの職業相談も、当たり障りのない会話ばかりで、これといって進展するものはなにもありません。

そして……気がついたら、独りになっていました。

周りに誰もいないわけではありません。

でも、独りなのです。

失業という状態になって、最初は励ましていてくれた人も、もう疲れていたのです。

どうにもならない人に、いつまでも付き合ってはいられません。

マイナスのイメージが強い人よりも、プラスに行動している人のそばにいた方が、誰だって良いのです。

だから、誰も悪くはないのです。

……でも、独りになっていました。

もう誰にも相談はできません。

かけられる言葉は……「どうするの?!」 「どう考えてるの!」 だけでした。

その答えは、私にはありません。

だから、こうしてもがいているのに……。

面接会場に行くと、何度も顔を合わす方がいます。

向こうも気になっていたらしく、声をかけるとすぐに打ち解けることができました。
お互いに、自分の置かれている境遇がよく理解できるせいでしょう。

普通の工場作業や、清掃作業などの募集に、すごい経歴を持った方たちが応募されたりしていました。
それだけ再就職が厳しいという状況でしたが、なんとかしなければいけないという思いを、誰もが強く抱いていたのは事実です。

その親しくなった彼は同年代で、私と同じくらいの期間就職活動を続けていました。
ただ私よりも、少し神経質に見えました。

その彼がポツリと漏らした言葉に、私は言葉が返せませんでした。

震えるそうなのです。

面接待ちで、相手からの電話を待っているはずなのに、携帯が鳴ると手が震えるのだそうです。
極度の緊張と不安。
彼がどれだけ追い詰められているのかが、その一言で伝わってきました。

グループでの面接だったので、彼の隣で面接を受けました。

私はいつものように、はっきりと、自信を持って自分をアピールしましたが、彼は違いました。
どこか自信なさげで、泣きそうにも見えました……でも、一生懸命さでは、間違いなく一番だっと思います。

面接官からの質問に答えたのは、私がもっとも多く、面接官の反応も一番大きかったのは明らかでしたが、彼には勝てないと感じていました。

一生懸命で誠実であること、自分が面接官なら、間違いなく彼を選ぶからです。

帰りもずっと自信なさげで、『きっとあなたですよ』と私を励ましてくれた彼は、それ以後見なくなりました。

今頃はきっと不安と震えから解放されて、精一杯仕事に励んでいると思います。
彼が別れ際に言った一言
『話せて良かったです。独りだと不安で、今日もまともに話せていなかったかも……。ありがとうございました』

独りじゃ頑張れない時があります。

私も彼に助けられていたのです。
世間の人はうわさ好きです。
失業期間が半時も過ぎると、余計なことを聞いてくる人たちが出てきます。

『旦那さん、まだ就職してないの?』

『家にいて、何してるの?』

『仕事を選り好みしてるんじゃないの?』

妻も、そんなセリフを毎日のように聞かされていたようでした。
最初のころは聞き流せていた言葉も、来る日も来る日も毎日続くとストレスが大きなものに膨れ上がっていきます。

うちの家族は子供も含め、それぞれが不安を抱えていました。
これからの生活のことを考えると、不安にならない方がおかしい状況だったのですから。

そこに、周りからの興味本位での質問攻め。
妻はかなり参っていました。

……そして、『仕事がないなら、アルバイトでもなんでもすればいいじゃない!』と口を開いて、それから一言も何も言わなくなりました。

蓄えも底をつき始め、生活は楽ではなくなっていきます。

それなのに、保険料などは去年の収入から計算されているので高い額を請求されます。

もう逃げ道はないのです。

アルバイトをしても、失業保険からその分が引かれるので、収入は減ります。

妻の稼ぎでは、とても生活できないし、失業保険を足しても足りないのです。

家では、掃除も洗濯もできる火事はすべてこなしていました。

でも、それでは妻のストレスは改善されないのです。

毎日のように、ハローワークに通い続ける日々……一歩づつ近づいてくる家庭崩壊……。

どこにも逃げられません。

町民税の集金を、区長に委託する役場。
払いたくても払えない人もいる。
区長が区のすべての人から期限内にきちんと集めれば、区に補助金があるのだという。

……当然、区の住民からは反感を買う結果になりました。

払えないでは済まない状況を作り上げる役場。
失業者を、さらに追い込んでいきます。

就職活動も三カ月を過ぎると、さすがに焦ってきました。

失業保険は1年近くありましたが、それだけでは毎月の生活が成り立たないので、貯金を切り崩しながらの生活だったのです。

でもまだ、家族は温かい目でいてくれたので、それだけは救いでした。

ハローワークでもらえる紹介状は多くて2つまで。
(長期休みの時は、最大4つまでもらったことがあります)

ただ、雇用機会均等法によって、男女の区別なく求人票が掲載されています。
紹介状をもらうために、相談窓口に座った時、初めて「これは女性向けの募集です」と言われることも少なくありませんでした。

一番困ったのは、年齢の制限が書かれていないことです。

一応紹介状をもらって面接にいくと、「年齢的に厳しいですね。せめて30代前半じゃないと無理だとおもいます」と断られることが如何に多かったか……。

表面上は年齢制限していなくても、実際は若い子に的を絞っている企業がほとんどです。
ハローワークの建前上、年齢制限はしていませんが、実際はかなり多く存在しています。

そのことでハローワークに尋ねると「年齢制限したら、40~50の求人は激減しますよ。また面接にいけるだけいいじゃないですか」とのことでした。
確かにそれも一理あるでしょう。
自己アピールの場があるので、そのチャンスを活かせる人がいるかもしれない……。

でも、現実は甘くありません。

かなり親密に話をしてくださった、同年代の面接官も何人かいましたが、『高学歴で高スキルの人間が、今は、たくさんあぶれています。どうせ同じなら、会社としては若い方がいいですから……』というようなことを、何度か聞きました。

2つしかもらえない紹介状。

そのうち2つとも若い子しか必要のないといことであれば、無駄に時間を費やしていることになります。

また、面接まで連絡待ちのことも多く、待っている間は何もできません。
紹介状は2つしかもらえませんから、後は求人雑誌に頼るしかないのです。
しかし求人雑誌にはアルバイト情報は多いですが、近隣の正社員募集はほとんどありません。

時間だけが過ぎていきます。

何かしたくても、平日の昼間にウロウロしていると、周りから良い言葉は聞かれません。
『怠けている』そんな言葉がささやかれるのです。
……必死で就職活動しているのに。

そして、いつも支えだった妻も、ストレスを爆発させることになるのです。
会社を閉鎖すると決めた時、私はまだこれからやってくるであろう試練に全く気がついてはいませんでした。

まだ、不況だとそれほど大きく騒がれてはいない時期だったので、なんとかなるだろうと思っていました。

会社の中枢で業務をこなし、経営に深く携わっていた立場でしたので、これからの会社の未来は良く分かっていたし、今、ここで廃業するのが一番の得策だということも理解していました。

実際、廃業には至りましたが、十分な資金は残ったため、役員も株主も、十分すぎるほどの報酬をもらって行きました。

……しかし私は、当時、苦しくなる経営に奔走して夜も眠れない日々を送っていましたので、それから逃げ出したい気持ちがあったのは事実です。
会社の清算業務にもずっと立い会いましたが、作業が進んでいくごとに、精神的な負担が軽くなっていくのに自分では満足していました。
「もう、こんなに辛い思いはしなくて良いんだ…」それが、その時は一番の優先事項だったのです。

仕事には自信がありました。
もともと技術屋なので計算には強く、いろんなことを経験しているので、怪しい商品のセールス以外なら、なんでもやっていけると考えていたのです。
当然、周りからの評価は高く、辞めると決まった時には、同業者からいくつか声がかかりましたが、またあんなに辛い日々が繰り返されるかもしれない……という思いがあって丁重にお断りしていました。

清算手続きが終わり、しばらくは療養のつもりでゆっくり過ごしていました。

……でもダメですね。

日ごろから良く動いていた体も頭も、じっとしていては逆にストレスになってきました。

そして、一か月が過ぎた頃、ハローワークで職を探すことにしました。

失業保険もある、蓄えもある、いくら長くても3カ月もあればまともな就職先があるだろうと高を括っていたのです。
しかし丁度、時期を悪くして、不況の波が加速していきます。
驚くほどに求人の数が無いのです。
そして年齢の壁です。

ハローワークでは、特に理由が無い限り求人に年齢制限を持たせませんが、実状は35歳で線引きしているケースが大半です。
ましてや、異業種に転職するとなると、この35歳の壁を超えることは、ほぼ不可能に近いです。

これを実感したのはまだまだ後のことになりますが、ハローワークで50を超える紹介状をもらい、面接管との会話の中で痛感させられたことなので、おそらく誰にもあてはまることでしょう。

異業種への転職は20代まで。
遅くとも35歳までに考えないと、よほど高いスキルが無い限り、無謀になります。

40過ぎの私は、そんなことなどまだ気付いてもいませんでした。

失業して初めてわかることがあります。

普通に仕事をして…

普通に給料をもらい…

普通に生活を送る…

その普通に過ごすことが困難になるのが失業です。

収入は無くなっても、税金や公共料金の取り立ては厳しくやってきます。
決して自分だけが有利になろうという気持ちもないのに、地域からは白い目で見られ、立場を無くしていきます。

国を動かす政治家の中で、本当の失業の苦しさをわかっている人はいないでしょう。

だからここに書いていこうと思います。

いつか、誰よりも高みに登る為に……。
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